「ダンカン載せてあるから大丈夫。」~Seymour Duncanについて語る回。
楽器店に勤めはじめる前、ゲインの高い音楽をしていた頃、私はギター本体に対するこだわりはそこまでありませんでした。
見てわかる明らかな廉価版などでなく、ピッチが合って、それなりに木部の加工やハードウェアがちゃんとしていて、強いハムバッカー(出力が強いという意味ではなく、個人の感想で「頼りになる」の意)さえリアについていればOK!みたいな
お恥ずかしながら、当時の知識水準はそのような感じだったわけです。
新品15万円あたりのモデルがあちこち持っていくのにも使いやすかった。そんなときにスペック表を見て発言していたのが「ダンカン載ってるから大丈夫。」でした。
・30万円以上のハイエンドなモデルにも搭載されている。(エレキギターの価格としてはそれなりの10万円台のギターにも載っている)
・使用アーティストも数え切れないほどいる(大好きなあのギタリストも使っている)
・もし急に不具合があっても新しい同じものを買ってつけられる(すぐに購入できるほど世に普及している。)
音に一切不満がなかったのも大きいですが、いかにもバンドマンっぽい理由で当時は「なんとなく好き」だったのを覚えています。
アクティブ派はEMGを使ったのでしょうが、私はパッシブ信仰があったので「断然、Seymour Duncan!」でした。
(どちらのブランドもアクティブ、パッシブともに商品がありますが、あくまでも”そんな風潮や時代も昔はあったなー”というふうに受け止めていただければ幸いです。)
今はリプレイスメント・ピックアップメーカーが群雄割拠の時代ですが
間違いなく、リプレイスメント・ピックアップのなかでも燦然と輝く存在がSeymour Duncanのピックアップです。
今回はSeymour Duncanブランドの歴史について紹介します。
Seymour Duncanメーカー創設者
創設者、Seymour W.Duncan
アメリカのギタリスト兼、ギターリペアマン、カリフォルニア州サンタバーバラにあるギターピックアップ・ベースピックアップ・エフェクトペダル製造会社Seymour Duncan Companyの共同設立者。
目覚め
1951年2月11日、ニュージャージー州、エレキギターが広く受け入れられるようになった1950年代生まれ。
ギターを弾き始めたのは13歳の頃、Ted Mack Showやthe Ricky Nelson Showを見て。
そして、James Burton(ジェームズ・バートン)のプレイに感銘を受け、テレキャスターやストラトキャスターをプレイしていたそうです。
クラブやショウで演奏活動を始めたダンカン氏
あるショーの最中にフェンダー テレキャスターのリード・ピックアップが壊れてしまい、残りの時間をリズム側ピックアップでプレイすることを余儀なくされます。
「必要は発明の母」彼はこのことがキッカケで、壊れたピックアップをレコードプレイヤーで巻き直して修理する経験をします。
プレイヤーとして演奏技術を磨いていく中で、ギターの仕組みに関する知識も得ていったのです。
演奏活動は彼の人生に更に影響を与えます。
ギタートーンやエレクトロニック面の知見をLes Paul氏、Roy Buchanan氏などのミュージシャンと過ごしていく中で深めていきます。
その中で得られた答えが「偉大なプレイヤーが出している素晴らしい音色に自分が到達できなかった理由は、自分のプレイ面ではなくギターが問題であった。」というもの。
彼はピックアップのダイナミクスとキャラクターに夢中になったのです。
渡英し、運命開花
ギターエレクトロニックの材料や技術を追求しているうちに人並み以上の領域に突入
レス・ポール氏の提案により、彼は1960年代後半にイギリスへ渡り、ロンドンのフェンダー・サウンドハウスの修理・研究開発部門でピックアップ関連の仕事を開始します。
Jimmy Page(ジミー・ペイジ)、George Harrison(ジョージ・ハリソン)、Eric Clapton(エリック・クラプトン)、David Gilmour(デヴィッド・ギルモア)、Pete Townshend(ピート・タウンゼンド)、Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)、Peter Frampton(ピーター・フランプトン)、彼のギター・ヒーロー、Jeff Beck(ジェフ・ベック)などのアーティストのために修理やピックアップリワインドを行います。
Tele-Gib(テレギブ)
1974年、ダンカン氏が1959年製の壊れたテレキャスターの改造を思いついたのが、彼の人生における、また、エレキギター史におけるターニングポイントでした。
改造の中で特に大きな意味を持ったのは
使い物にならない状態になっていたギブソン フライングV(前所有者はLonnie Mack)に搭載されていたPAFピックアップを1959年製の壊れたテレキャスターに搭載するというものでした。
この、テレキャスターに搭載されたPAFピックアップは”コイルが断線していてダンカン氏がリワインドした”もの。
ここが”Seymour Duncanピックアップの音”が誕生した瞬間ではないでしょうか※1
【-※1-後に「SH-2 Jazz Model」(フロント)「SH-4 JB Model」(リア)というセットの原型となりセイモア・ダンカン社の主力商品となりました。
2基分はワイヤーのゲージの違うものしか手に入らなかったため、巻き数を多くしアウトプットを増やす為に細い方のゲージのものがリア用に使用されたのがあのJBモデル特有の音質に繋がりました。】
(改造について、エスクワイヤに見た目を近づけている点やフレット交換やハムバッカーを載せるためのブリッジの加工などの説明はここでは割愛させていただきます。)
Tele-Gib(テレギブ)が切り拓いた未来
このTele-Gib(テレギブ)がどのような運命を辿るギターなのかは皆さんがご存知の通り
ジェフ・ベックの「Blow By Blow」収録のCause We’ve Ended As Loversの名演で使われました。
(テレギブはヤードバーズ時代のジェフ・ベック使用機エスクワイヤーと交換、エスクワイヤーはダンカン氏のもとで今も当時のまま保管されているそうです。)
新たなファン、人脈をイギリスで得たダンカン氏はアメリカに戻ります。
戻ったあともLeo Fender、Les Paul、Seth Loverなどとコンタクトを取り、ピックアップづくりについて学び続けました。
カスタムピックアップの需要が高まり、1978年後半にCathy Carter Duncan氏と共同で、ダンカン氏は自身の会社Seymour Duncan Pickupsを設立。
そして現在まで一流のメーカーであり続けています。
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