レッチリに復帰!ギターヒーロー、ジョン・フルシアンテ 

世界的バンド、レッチリに復帰が発表され注目を集めているジョン・フルシアンテ(John Frusciante)
ジョン・メイヤー、デレク・トラックスと並び「現代の三大ギタリスト」と評され多くのファンを持つギタリスト。 ご存じの方も多いでしょうが今回はそんな彼に注目していきたいと思います。

ジョン・フルシアンテとは

ジョン・フルシアンテは元レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のギタリスト。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第18位、2011年の改訂版では第72位。
レッチリではストラトキャスターをメインに使用し、ファンキーなカッティングと情熱的なギターソロを駆使することから「白いジミヘン」と呼ばれることも。

ストラトのイメージが強いですが他にもテレキャスターやジャガー、グレッチのホワイトファルコン、ソロ時にはYAMAHA SG2000なども使用しています。

惜しくも1962年製ストラトがありませんでした、のでこちらは1歳違いの1963年製。

ちなみに、弦とピックのチョイスはd’Addario EXL110(10-46)とJIM DUNLOP TORTEX 0.6mmだそう。

エフェクターはBOSS DS-2やCE-1、Ibanez WH10を好み、Marshallアンプと組み合わせます。

生い立ち

1970年にニューヨークのクイーンズにてミュージシャンのもとに生まれる。
9歳で独学でギターをはじめ、ジミヘンやフランク・ザッパに大きな影響を受け15歳の頃に観たレッチリに魅了され、ギターやベースをコピーし歌詞を暗記するほどのめり込みます。
1988年、当時ギタリストとドラマーを探していたレッチリのオーディションを受け見事合格、憧れのバンドの一員となったのです。

成功と転落

加入後、天才的センスとすばらしいギターテクニックでレッチリの音楽性の幅を広げ、アルバムMother’s MilkやBlood Sugar Sex Magikをリリース、商業的にも成功しスターダムを駆け上がります 。
しかし、バンドの成功に伴うストレスとプレッシャーで1992年のツアーの最中に抜け出しそのまま脱退してしまいます。
その後うつ病とドラッグ依存に苦しむこととなり、リハビリなどを経て社会復帰を果たします。
ジョンはこの時期を「再生の期間」であり、その間に自分自身を見つけ、心を一掃したとコメントしています。

レッチリに復帰

1998年、ジョンの後任ギタリストが脱退したタイミングだったバンドはジョンに復帰を打診、ジョンはその要請を快諾しまたレッチリにメンバーとして迎え入れられます。
すぐにレコーディングを開始しアルバムCalifornicationを完成させリリースします。
その後もBy the Way(2002)、Stadium Arcadium(2006)とジョンのリリース、大きく成功し世界的ロックバンドという地位を確固たるものとしジョンは2007年にローリング・ストーン誌においてジョン・メイヤー、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)に選出された。

2度目の脱退~ソロ活動

2009年に自分の音楽をもっと探求していきたいというジョンの意向を受けバンドも承諾、前回の脱退と違い円満にバンドを去ります。
脱退後はソロアーティストとしてエレクトロ系の音楽にシフトし活動していました。

そして2019年

レッチリのインスタグラム公式アカウントで、ジョンが再びギタリストとして加入することが発表され、TwitterのワールドワイドトレンドにFruscianteが記載されるなど、大きな話題となりました。

’’Red Hot Chili Peppersは、この10年間、我々のギタリストとして活動してくれたJosh Klinghofferと別々の道を歩むことになりました。Joshは、我々が愛する素敵なミュージシャンであり、そんな彼を尊敬しています。これまでにJosh共に過ごして来た時間と、彼が我々に与えてくれた数えきれない贈り物にとても感謝しています。そして、嬉しい興奮で一杯な気持ちを込めて、John Fruscianteが再び我々のグループに戻ってくれることを発表します。’’

近々のライブは2020年5月頃だそうですが、10年ぶりにバンドに復帰しどんな姿で世界中のファンを魅了してくれるのか今から楽しみでしかたありません。

ベース、ドラム、アクセサリ担当:前田

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