Paul Reed Smithを一流ブランドにした人物はGibson関係者!? 

PRSのマッカーティを買取させていただきました。

Paul Reed Smith Private Stock #7512 McCarty 594 Graveyard Limited Run Honey Gold with Dark Cherry Smoked Burst

“1980年代後半、ポール・リード・スミスは、テッド・マッカーティにギターのデザインと制作技術について相談するように呼びかけました。彼はメンターを務めただけでなく、ポールと彼がPRSで出会ったすべての人の素晴らしい友人になりました。 1994年、PRSは最初のMcCartyをリリースしました。これは、ポールがTedから得たあらゆる技術と知識、およびギタービルダーとしての彼自身の経験を取り入れたギターです。”
McCartyというモデルはPRSのサイトに上記のように記載されています。

モデル名のマッカーティというのが人物の名前由来なのは有名な話ですね。
Paul Reed Smith氏がギター関連の特許について調べている時にマッカーティ氏の名前をよく見かけたのがキッカケでアドバイスを求めたようです。1986年に初めて二人は初めて会うこととなります。
PRSがFender、Gibsonと並び称されるブランドにまでなったのはマッカーティ氏のアドバイスやその関係性が影響しているのが伺えます。

Ted McCarty

Ted McCarty​はどのような人物なのかというと
Gibsonの社長という立場でギター・ビルディングの黄金期(1950〜1966年)を牽引した伝説的な人物です。

・ギブソンで社長となった時に、1965年までに従業員150人から1,200人に増員し、工場は一つの小さなビルから二つの街区にまで拡大させた。
その当時の業績は100万ドルから1,500万ドルにまで成長。
・ギブソンの生産量を年間5,000本から10万本以上に増やすことに成功。
・1965年、ビグスビー社を買い取り、1966年にはギブソン社を退社、財政難だったビグスビー社の経営状態を立て直した。

経営者としての才能に溢れる人物なのは上記のエピソードで十分に伝わってきますね。

簡単に経歴をご紹介すると
1909年にケンタッキー州サマセットで生まれる。
シンシナティ大学で工学の学位を取得した後、1936年にWurlitzer(ウーリッツァー)に入社、販売促進や経理、資材購入を担当し1948年まで在籍。
Brach’s Candyからも声がかかっていたようですが1948年、Gibsonに入社、最高経営責任者に就任。2年後の1950年には社長の座に就く。
といった経歴で、GIbson入社前から仕事のできる人だったのが明白です。
大学在学中に書店での仕事をしており、それが活きたと後に語っているようです。

工学科で学んでいたこともあって、Gibsonでは商品開発でも偉大な功績を残しており
・1948年、フィンガーレスト・ピックアップのパテントを出願。
・ES-175、ES-5の開発に携わる。
・Les Paulモデルの開発(プロトタイプをデザイン・開発し、レス・ポール氏との契約にこぎつける。)
・ブランコテールピースだったLes Paulをスタッドブリッジテールピースに仕様を改め1953年にパテント出願。
・1952年にT.O.Mブリッジのパテント出願。(後に出る若干の仕様違いのT.O.Mも彼のパテントのようです。)
・ES-335をデザイン
・1957年パテント出願のFlying V、Futura、Moderneの3機種をデザイン
・Explorerをデザイン
・外部のデザイナーを起用しFirebirdを開発

といったのが主な功績です。
箇条書きでも凄まじさが伝わってきます。
彼自身はギタープレイヤーではなかったので、プレイヤーの意見を俯瞰して見ることができイノベーションを起こしたのでしょうか。

Vintage Guitar magazine 1999年4月号インタビュー

生前のインタビュー記事(Vintage Guitar magazine 1999年4月号)ではGibsonでおこなった開発に関連した内容についても語られています。

・自分でデザインしたFlying V、Explorer、Moderneのプロトタイプについて聞かれた箇所

フェンダーがギブソンのことを話していたのを人づてに聞いた時に腹が立ったのが燃料となった。
最初の80台でフライングVは製造をカットした。
モダーンは4,5台ほど製造したと記憶している。
販売されたものも演奏したりするものとは思わずにディーラーが買っていって店の窓際にディスプレイしたのだろう。

(この辺りは他の情報源と数字などが噛み合っていないこともありますが、当時の社長の発言なので信憑性は高いと思われます。)

・ES-335について聞かれた部分
「私たちが開発したときは、ソリッドボディのギターであるため、セミソリッドと呼んでいましたが、ボディ自体はアコースティックであると言えます。」と発言しており
アコースティックな音色が好みでアコースティックギターの音色をソリッドボディで再現しようとしていたと語られています。
PRSのMcCartyについてもここで触れており、バイオリンのサウンドポストの仕組みに着想を得ていてアコースティックな部分から得られるトーンが335よりも増えたと彼は考察しています。

この記事はインタビュアーもなかなか切れ味鋭い質問をしており、「なぜギブソンアンプの売上がフェンダーアンプに匹敵しなかったか」「ビグスビー社を経営していた際にFloyd Roseのトレモロシステムが出てきた時どう思ったか」についても質問しており、興味深い記事となっていました。

National Association of Music Merchants Oral History program

2000年4月、マッカーティ氏は、音楽業界のパイオニアたちへのインタビューを集めたビデオ・コレクション、National Association of Music Merchants Oral History programで、初めてインタビューを受けた人物となりました。

マッカーティ氏は2001年4月に91歳で亡くなりました。

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