彼の略歴を調べようとしてもなかなか情報は出てきません。
“ヒストリック・レス・ポールの初代ペインター(フィニッシュ担当)であり、エイジングのパイオニア、ヴィンテージ・エキスパートでもある、トム・マーフィー氏”
とGibson.jpの製品紹介アーカイブに文章が載っていますが、日本人ギタリストの多くの方が「なんかギブソン関係者の凄い人」の印象どまりなのかもしれません。
ご紹介しやすくまとめられた情報はないかと調べたところ
2007年5月「Marion Living Magazine」に彼の記事があったのでそこの内容をかいつまんでまとめました。
(平たく言えば、地方紙の「この街に住んでる○○さん」みたいな記事なのでしょうか。)
少年時代
マーフィーは1950年生まれ、少年時代にスピラータウンの学校に通っていました。
この頃から、なにか自分自身、信じられるものを求めていたようで、野球よりも、音楽やギターに興味を持っていたそうです。
ちょうど10代ぐらいの頃、エド・サリヴァンの番組のビートルズ特集をすべて見たそうです。
(このあたりのエピソードでだいたいの時代背景が浮かんでくるでしょうか。)
衝撃的な旅立ち
マリオンの高校卒業後はジョン・A・ローガン・カレッジに入学。
1969年には、他の多くの若者と同じようにギターや身の回りの品を詰め込んで路上生活を始めた。(ヒッピー・ムーブメントの時期)
テキサス州ヒューストンに友達がいたので、もっと学びたいもっとそのコミュニティの一部となりたいという音楽的欲求に従う形でクリスマスの3日前に両親に別れを告げ、驚く両親を尻目にトレイルウエイズのバスに乗り込みマリオンを後にした。
(テキサス州ヒューストンはブルースの歴史豊かな街)
後にマーフィは「マリオンはアメリカの真ん中で孤立した州だったので当時はもっと刺激が必要だった。」と説明しながらも
「マリオン出身であることにいつも誇りを持っている。」とMarion Living Magazineの記事に答えています。
テキサス州での暮らし
その後、数年間、ヒューストンではクラブで働き、ギグでギターをプレイすることで生計を立てます。
名のしれたプレイヤーや、注目を集めるプレイヤーから影響を受け、練習に明け暮れ腕を磨く日々。
当時、自身のことはテックやリペアマンだとは一切思っていなかったものの、ネジをいじったり、ブリッジやピックアップを動かしたり、いくつかのギターにはさらに手を加えていて、塗装から木部を露出させたり、ギターいじりはこの頃からしていた記憶があるようです。
「ヒューストンで過ごした時間は成長のために必要だった、しかしより多くのものを必要としていた。」とヒューストンでの生活を振り返ったマーフィが次に向かったのはオースティンでした。(オースティンも同じくテキサス州)
オースティンはウェアハウス地区(Warehouse District)、6番街(Sixth Street)、レッド・リバー(Red River)などに音楽シーンが集中している。ロック、ブルース、カントリーの充実した演奏家の集う街。
「オースティンはバーでヒッピーとカウボーイが隣り合って立っているのを初めて見た場所…。」「and everything was alright.(そしてすべては大丈夫だった。)」とマーフィーは振り返ります。
(思想や文化背景の違う立場にある人同士が場所を同じくして問題のない土地という意味で衝撃だったのかもしれません。)
オースティンの音楽シーンの影響を受けながら才能を磨き続け、その後コロラド州でギタープレイヤーだった彼の人生は永遠に変わります。
妻Janiceとの出会い
後に妻となるジャニスとコロラド州で出会います。
ローカルで演奏していくことは出来たが、彼女との関係や彼女の家族との関係性がギタリスト生命に影響を与えつつあり、「音楽が自分にとって重要で、重要なのは音楽だけだ。」と信じていたものの、生活のためになにがなんでもギタープレイヤーとして生きていくという強い願望はまだないことにマーフィは気づきます。
(年齢と心の動き、なんかリアルですね…。)
1983年、マーフィが33歳のとき、ジャニスと一家(マーフィ含む)はコロラド州からナッシュビルに引っ越し、1年ほど過ごした後、トムとジャニスは結婚します。
(ジャニスもマーフィ姓となるのでこれ以後トムと表記します。)
Sawyer Brownでのツアーそして失業
ナッシュビルの土地は多くのミュージシャンの集う音楽の街、そこでトムの長年の演奏と練習が報われることになります。
Sawyer BrownがStar Searchで優勝し、アメリカツアーを開始した後、トムがギタリストの地位を獲得。
彼はニューヨークに飛びオーディションを受け、全国ツアースポットを持ち帰ります。
ツアーの最中に、子供の頃に映画を見たマリオンのオルフェウム劇場で演奏する機会にも恵まれたことは「なかなかよかった。」経験だと後に語ります。
Sawyer Brownでの活動後、マリー・オズモンド・ショー(テレビ)でギターを弾く仕事に就きますが、テレビプログラムの制作方向に変化が起こり、実質、失業することになります。
1989年、春、見つける。
ナッシュビルで友人達とギグをしていたトムは、パーティ参加者の一人からギブソン・ギター社の仕事のオファーを受けます。
仕事内容はrough-millといって、木材からモデル毎の大まかな形を整形する仕事でした。
働いているうちに、トムは擦れや切り傷がついてしまったものを直し、生産ラインに戻す品質管理部門の方向を示されます。
幸運なことにトムは15年間から20年間ほど、リペアの仕事をしている女性の元で働き
仕事の飲み込みも早いことがわかります。
トムはギターをプレイしていく時間は十分にあるが、もう人生に新たな道を求めて旅を続ける必要がなくなったことに気づいたタイミングでした。
少年時代に求めていた「なにか自分自身、信じられるもの」が見つかった瞬間だったようです。
トムが後にこの時のことを振り返った言葉は「私はギブソンで働いていました…メッカ(聖地)…アメリカのギターの最高峰かもしれません。何年も前にマリオンを離れたときに求めていた刺激のなさを満たすような仕事を見つけたのです。」といったものでした。
ギブソンでの仕事が彼にとってピッタリでギタリストから技術者に変わったのが明らかになった瞬間でもありました。
1959 “Sunburst”の復刻
トムの熱意は学びに突き動かされます。
なぜ今のレスポールと初期の製造規格のギターは違うのかを知りたく、初期の製造規格のギターを再生産する可能性を探ります。
非常に人気のある1959レスポールを製造したい。
トムはその計画を認められて誇りを持って引き受けます。
そして、1959サンバースト、その後にゴールドトップを復刻しました。
レリック、エイジド誕生秘話
リイシュー(再生産)ギターの仕事をしながら、凹みや擦り傷などの偶発的な傷の修繕の技術を学び続けているところ、トレードショーで「プロセスを逆にできない?」と聞かれます。
プロセスを逆に、とは、トムが傷ついたギターを傷がない状態に修繕することを逆にする。
1959 Les Paulのリイシューは決して安価ではないのですが、「意図的にそれを本物のビンテージギターであるかのように傷を付けて欲しい。」といった要望でした。
トムはその要望が可能であることを認め、要望をした人物のギターを一点物にできることを知って受け入れました。
1959レスポールリイシューのプロジェクトは成功を収めて、誰もがトムの特別なギターを所有したいと思っているようでした。
しかし、それもつかの間。
1994年
1994年、トムのギブソンでの時間が終わりを迎えます。
しばしの休暇を得た彼はマリオンに戻ります。
(キャリアの説明としては重要なはずのこの年の出来事は、”代表がうまく取りまとめることができなかった”とだけ書かれていました。)
マリオンに戻ってからすぐに、父親の古い木工品店で商売を始めます。
4000以上のギターを取り扱った。
彼のエイジドはコレクターやプレイヤーから高く評価された。
He will continue to produce some of the most amazing guitar finishes that may even leave the “Antique’s Road Show” appraisers asking for a second opinion.
彼の仕事はここマリオンの彼のショップで続けられており、おそらく 「アンティーク・ロード・ショー」 の評価者たちがセカンド・オピニオンを求めているような、最も素晴らしいギターフィニッシュを彼はこれからも作り続けていくでしょう。
と記事はまとめられていました。
リイシュー(再生産)ラインナップという潜在的な価値を見出して商品化を成功させた後にギブソンから離れこそしたものの
近年ですと、2019.12.10にギブソン・カスタム・ショップにて新設されたMurphy Lab(マーフィー・ラボ)のマスター・アーティザンとしてTom Murphyの就任が発表されたのが記憶に新しいでしょうか。
社内の変遷で人の出入りが激しいのはアメリカの会社らしいですね。
絶好調のタイミングで去り、その去った人間が後に戻るというのは日本の会社ではあまり聞かないことかもしれません。
当店で買取させていただいた商品のなかにたまたま1993年製(1994年にギブソンを去る直前)のもの、トム・マーフィーが手掛けた初期の製品がございましたが、歴史を知っているとお品を見たときに感じられるものの深さが違い、やはり多くを学び続けないといけないと気持ちを新たにさせられたのを思い出しました。
Led ZeppelinのJimmy Pageから依頼を受けるようなスペシャルな人物、トム・マーフィー。
トムがギブソンで腕を奮っている間の商品は今後も付加価値を更に高めていくのかもしれません。
※写真はGibson Custom Shop True Historic 1958 Les Paul Murphy Aged Green Lemon Faded
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