ギブソンの歴史を知れば、ビンテージが今よりもっと欲しくなる 

現在でも、エレキギターブランドとしてフェンダー社と双璧をなすギブソン社。
Les Paulを筆頭に、SG、ESシリーズなど、様々なギターをヒットさせ、ギターブランドとしてトップまで上り詰めました。

歴史が長いブランドですから、ビンテージと呼ばれる年代の楽器が出回ることもあります。
そういったビンテージ楽器の値段を見て「希少とはいえ、高すぎる」と思ったことはありませんか。

今回は、ギブソンについて皆さんが知っているであろうエレキギターの代表作”レス・ポール”が発表されるまでの道のりを簡単にみていきましょう。
ヒット作を生むまでの苦労と変化の歴史を見れば、ギブソンビンテージに高い値が付くことも納得できるかもしれません。

ギブソン社設立

押しも押されぬギターブランドとなったギブソンですが、初めからギターを作っていたわけではありませんでした。
ギブソン社の始まりは1902年。ギブソン・マンドリン・ギター製造会社 (Gibson Mandolin-Guitar Mfg. Co.) としてスタート。
当初は、オーヴィル・ギブソンのオリジナルデザインのみを生産、販売していました。
その後オーヴィルは1918年に心内膜炎で死去。

翌年には、デザイナーであるロイド・ロアーが入社、より新しい楽器の製作を開始。
1922年にフラッグシップモデルL-5アーチトップギターと Gibson F-5 マンドリンをデザインし発表。1924年にギブソンを退社。

変革の時期

その後、ガイ・ハートが経営に携わります。
1924年から1948年までギブソンを経営しました。

この時期は、ギブソンいとっても大きな変化があった時期です。
また、楽器の歴史にまで広げて言えば、1700年代後半に6弦ギターが登場して以来、ギターにとって最大の革新の時期だったとも言われています。

特に、この時期に発表したSuper400は、ジャズギターとして最高峰のものと言われています。

アメリカのヴィンテージギター誌によると、
当時の価格は、425ドル。カタログの中でも最も高価なギターでした。
また本数も非常に少なく、サンバースト仕上げのギターの生産数は
1939年に6本、1940年に10本、41年に13本。
ナチュラル仕上げは1940年に13本、41年に5本であったとのこと。

楽器としての完成度、希少性や価格による価値も上乗せされたSuper400を機に、ギブソン社は一気にギター市場で目立つ存在となりました。

その後、1944年ギブソンはシカゴ・ミュージカル・インストゥルメンツ社に買収される。

1948年にテッド・マッカーティを採用。
1952年に、当時人気のミュージシャン、レス・ポールがエンドースした「レス・ポール」ギターを発表。

マンドリン時代の1902年から50年で、ようやくレスポールの発売の年までたどり着きました。
やはりハイライトは1924~1948の時期でしょう。

世界対戦を潜り抜け、買収などの様々な変化もあり、現在のギブソン社があります。
決して生活に必要ではない楽器というものを製作・販売し続け、現在まで
続けられていると考えると、ビンテージのような古い年代の楽器に高い値が付くことも納得です。

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