アルバムを一枚通して聴くのがしんどくなった(byアラサー男性社員) 

ここ数年の間に体験したことです。音楽をアルバム通して聴くのが苦痛になってきました。
好きなアーティストでも1,2曲聴いたら満足といった感じです。
学生でなくなったから、10代の時のような多感な時期を超えたから
そういった精神的な面ももちろんあるかもしれませんが、あまりにも極端だったので
身体面の衰えかもしれないとも考えましたがどうも違和感がありました。

「そういえば1990年代以前の音源はとても好きで今も聴いている」
昔を懐かしむことが出来るのも音楽の醍醐味ですが、
感性が若い世代についていけていないというのは
作り手側としては致命的だと当初は思ったほどです。

音圧戦争

「Loudness War」(音圧戦争)という言葉があります。
音楽の制作過程においてデジタル処理により競って音圧を上げることを揶揄した言葉です。

テレビのアナログ放送の時代の苦情で、CMの音がうるさいという苦情があったそうです。
(当時、CMで音量を下げるという動作をしたことがある経験のある方は多いのではないでしょうか。)

自社のCMを他と比較して少しでも目立たせようと、高音を強調する処理や音圧を上げたため
番組や他のCMとの間に音の大きさにバラツキができたために起きた現象です。

DTMが普及していくにつれ、この時の技術が一般人にも使えるようになっていきました。

ネットでの動画投稿系のサービスの隆盛、初音ミクなど一般の人も自分で作った音楽を発信できる時代が2000年代中期ごろ盛り上がりを見せ。
その際に「開始数秒ではっきりわかるほど他の投稿者よりもリスナーの気を引くサウンド」というのを作らないと再生数を稼げない時代があったわけです。
その時に使われたのが音圧を上げる技術だったわけです。
(当時の初音ミクの音楽の特徴をあげると”印象的でド派手なシンセのイントロの賑やかな曲”という印象を持つ人が多いはずです。)

音圧が高ければ、パッと聴いたときに派手さがあり、良い音に感じる場合が多いため
「他の音源に音圧で勝て!」という競い合いがあり。
ソフトウェアの開発など技術面もニーズにこたえる形で進んでいったわけです。

とうとう明かされる、アルバムを一枚通して聴くのがしんどくなった理由

「ド派手で良い音に感じるんだったらそのほうが良いじゃん」と思われるかもしれませんが、
音圧戦争まっただ中の音源の共通の特性があります。
「絶えず大きな音量感にさらされるため、長時間の聴取で疲労を感じる。」
そう、音圧を極端に上げてしまった音源は長く聴けないという特徴があるのです。
アルバムをまるまる1枚聴き続けられなくなったのもこのためかもしれません。

それだけではなく、ダイナミックレンジ(音量の最大値と最小値の差)が狭くなり、躍動感や抑揚感が失われます。

ダイナミックレンジはアレンジや表現の一つとして重要な部分です。
それが少し欠けた音楽を聴いて育った世代がいるというのは音楽の文化としては損失ではないかとも思えます。

ラウドネス戦争の現在

音楽配信系のサービスなどでは、投稿している音源の音量が自動調整されいるのではないかとの議論をしているコミュニティがあります。

かつてテレビのアナログ放送のCMで起こっていた「音量が極端に変わるのは困る」苦情
リスナー側としては今も昔も変わらないのでしょう。

もし音圧をあげた音源を勝手に自動調整されて小さくなるのであれば、音圧を極端に上げる旨みは減り、
再びダイナミックレンジが重要視される時代に戻るのかもしれません。

そうなるとラウドネス戦争の時期の音楽は「技術者が音楽シーンを盛り上げた時期の楽曲」として
「あの時はイントロからド派手な音が飛び出してくる曲だった」と懐かしまれる時期もくるのかもしれません。

逆に音圧を爆上げしてダイナミクスレンジを狭めなければならなかったからこそ使われていた楽曲のアレンジもあるはずなので時代背景と音楽というのは密接な関係にあるのかもしれません。

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